プロフィール– PROFILE –

誕生、高校生まで。英語との出会い

岐阜県西濃地区の山間部で、二人姉妹の長女として生まれました。実家は、祖父が始めたガラス屋を経営していました。

小学校時代に近所のキリスト教会に通ったことがきっかけで、英会話に興味を持つようになりました。ある日、アメリカから訪問していた宣教師の方が、私が乗っていた自転車に 「Santa Monica」と書いてあったのを、読み上げた時のアクセントを覚えています!

地元私立のスペイン系カトリック高校に在学中、1988年の1年間オーストラリアへ、夢であった留学をしました。滞在したのは、ビクトリア州のWhitefieldで、牧場を営むホームステイ。現地校に通ったのですが、当時、留学生はまだ珍しく、私のほか、アメリカとデンマークからの留学生のみ。英語がほとんど通じず、留学期間のほぼ毎日を泣いて過ごしました。優しいホストファミリーとクラスメートに支えられ、なんとか1年の留学生活を終了しました。(留学中の写真を探してきました!全て画質が悪くてごめんなさい!)

大学から高校教員、再びオーストラリアへ

帰国後、上智大学英文学科へ入学しました。卒業後は、特に入りたい会社もなくて、たまたま募集をしていた、地元岐阜県岐阜市の高校に勤務しました。英語教員として、ホームルームや部活動(マンドリンクラブ)も担当し、若かった私は、生徒と年が近かったこともあり、楽しめましたが、私より年上の保護者との面談や、受験英語を教えることに疑問を感じるようになりました。3年間後、「どうしてそんなに安定した仕事を辞めるの?」という、周りの反対を後に、再度オーストラリアへ渡る決心をしました。メルボルンの大学にて、翻訳、通訳を学び、卒業後、ラッキーなことに念願の永住権を取得することができました。

オーストラリア、メルボルンで初めての就職

永住権取得後、初めて獲得した仕事は、メルボルンの日系の商社。受付から社長秘書業務、アドミニ全てを担当しました。初めての民間会社での勤務は新鮮で楽しかったです。1年後転機が訪れました。2003年、トヨタ自動車が世界で5番目のテクニカルセンターをメルボルンに設立することになりました。現地採用された最初の日本人スタッフとして、社長の右腕として、本社とローカルとのやりとり、サプライヤーや政府との交渉、VIP訪問のコーディネートなど、会社設立業務に深く関わることになりました。

キャリアブレーク〜再キャリアスタート

出産をきっかけに、キャリアブレークするも、半年後には再就職しました。「やっぱり私は外で働くのが好き!」ということがわかりました!8年間勤務した地元の大学では、学生アドバイザーとして、各国からの留学生の安心・安全な生活と異文化理解をサポート。学生リーダーシッププログラムや、留学生がオーストラリアの生活に慣れるためのさまざまなイベントを企画、特に、学生、教職員、マーケティング全てにWIN WINをもたらしました。結果、リーダーシッププログラムは大好評で、その年、スタッフアウォードを受賞するなど、とてもやりがいがありました。

大好きだった学生アドバイザーをリストラ〜現在

とても気に入っていた学生アドバイザーの仕事でしたが、2016年、留学生数が激減し、私のポジションはリストラになりました。以後、3ヶ月ほど就職活動し、2017年、トヨタ、レクサスの現地法人での勤務がスタートしました。エグゼクティブコーディネーターとして、トヨタ自動車の工場閉鎖に伴い、日本からの社長様御一行の訪問のコーディネートを担当。日本の訪問担当のグループとオーストラリアのチームとの橋渡しとして、約半年間、綿密な準備をし、社長を始め、グループの訪問は成功でした。その後、ディーラー設備を担当する部署、レクサス部門の部長の秘書などを担当し、現在は、日本人駐在員オフィスのコーディネート業も担当。日本人駐在員と、その家族がスムーズで心地良い生活ができるように、日々サポートに励んでおります。

未来へ向けて、これからやっていきたいこと!

私がオーストラリアに暮らし始めた頃、まさかここまで長く住むことになるとは夢にも思いませんでした。気づけば、人生の半分近くをこの国で過ごしています。振り返ってみると、高校生の時に留学し、英語がわからず毎日泣いていた日々や、就職活動で苦労した経験など、一見ネガティブに思える出来事も、すべてが今の私を形作る大切な一部になっています。

もうひとつ、強く感じることはオーストラリアへの感謝です。この国は、一定の条件を満たせば外国人にも永住権を与えるという、非常に寛大な政策を続けています。私がここで生きてこられたのも、そんなオーストラリアの懐の深さのおかげです。そして、英語を学びたいと志したときから、私の選択をいつも支えてくれた、今は亡き両親や祖父母、妹への感謝も忘れません。

私の実家は、祖父の代から続くガラス屋を営んでいました。しかし、私たちが跡を継がなかったため、地域の方々に惜しまれながらも50年の歴史に幕を閉じました。かつて栄えたその町も、今では人口減少や空き家問題といった、日本の地方が抱える課題に直面しています。

私がオーストラリアに来た当時と比べ、日本の経済状況は大きく変化しましたが、それでもオーストラリアの人々は相変わらず日本を愛しています。今年は、オーストラリア人にとって日本がバリを抜いて一番人気の海外旅行先になったと聞き、とても嬉しく思いました。

これからも、日本とオーストラリアの両国が「Win-Win」の関係を築き続けられるよう、微力ながら貢献していきたいと考えています。

私の強み:

「おもてなし精神」を大切にし、あらゆる場面で心温まる「日本式おもてなし」スタイルでの対応を心掛けることにより、顧客や同僚から高い評価を受けてきました。ステークホルダーとの関係を重視し、信頼と協力を基盤にした長期的な関係構築に努めます。

部署や数年前、部署の異動が決まった時、頻繁にやり取りがあった何人かのディーラーさんからメッセージを受け取ったのですが、その中で、とても心に残っているメッセージがあります。

あなたがいて、xxx(会社名)は本当にラッキーですね。次の部署でも、あなたは会社にとって、とても価値ある資産ですよ。頑張ってください。

その他の活動:

故郷の岐阜、日本、オーストラリアの人たちを笑顔に!

故郷の岐阜と日本の地域活性化への熱い思いを胸に、2024年から毎年シドニーで開催される「JAPAN EXPO SYDNEY(日本博覧会)」の運営チームに参加しています。南半球最大の日本博覧会にて、日本が誇る伝統芸能やアート、物産、食品を展示するクライアント様への翻訳サポートや公演の通訳、司会業を担っている。日本とオーストラリアを結ぶ架け橋として、日々全力を尽くしています。

動物と人が同じくらい幸せに生きる世界

さらに、「動物と人が同じく幸せに生きる世界」を夢見て、動物愛護活動家として絵本や電子書籍などでその想いを発信。心豊かな社会の実現に向けて、活動を続けています。

出版した書籍:

野犬のイブーだからはここにいてあげる

野犬の可愛さを広めたい

オーストラリア発、英語も人生も楽しくなるオーストラリアマインドの秘密

オーストラリア発、犬も人も一緒に幸せになる方法